崋山の遺墨
一可 2002年11月

携帯電話の裏技にはいろいろなものがあってけっこう楽しめる。
ふつうの標準語で作文したものを,相手のアドレスの一部に数字を加えF社の携帯で送るとすべて大阪弁に変換されて送られる。「こんにちは」と送ると「儲かりまっか」という具合である。完全失業率5.3%を越えたこの時節,「もうかりまっか」もないものだが挨拶だから仕方がない。しかし日本はいったいこの先どこにいくのだろうか。
崋山の名は陸翁の詩「華州不見華山 他州却
見華山」から採り山
を加えて号にした。華山は中国西安の東,約百キロにある。
全山一岩からなる山。
五年ほど前に公共事業の民営化を調査するために少しの間イギリスに滞在したことがある。すでにサッチャーリズムは収まり,サービスの問題が問われてきた頃である。
ロンドンの北,約100キロメートルのところにリーズという市がある。この地域は毛織物生産の根拠地で,歴史的には産業革命が始まったところである。また,この市から数キロ離れた郊外の教会にブロンテ姉妹は住み,彼のエミリーの名作「嵐が丘」はここで生まれた。そんな街に住んでいる従姉妹を週末に訪ねた。従姉妹はリーズ大学でテクスチュアーを勉強しPHDを取得し,そのまま当地のイギリス企業に就職した。渡航の前,日本から二三度FAXを入れていたのだが音信がない。たぶん忙しいのだろうと気に止めなかった。が,ヨークのボストンスパ(国立資料保存館)で電話をしたところ運良くつながった。
「今どこ」
「ボストンスパ」
「どうしてそこにいるの」
「FAX見なかった」
「全然・またか・こちらに来られる」
「そのつもり12時の電車に乗る」
リーズの駅で私を出迎えた彼女はいきなり「i tell you whole
story」と始まりそれから3時間あまり,車の運転をしながら,あるいはキッチンのツールに腰掛けながら,彼女と彼女のイギリスについての話を聞かせた。もっとも全部早口の英語なので半分くらいはわからない。それでよかったのかも。
彼女の勤める企業は英国で著名な企業だったのだが,半年ほど前にオーナーが変わった。買ったのはアラビア人。イギリスの企業は資金がショートしてアラビア人の富豪がこれを買った。彼らはこれをビジネスのために買うのではなく,自らのステータスのために買った。企業がビジネスのためにあるわけではないから事業はしない。新しい提案は必ず反故にされる。今ある企業が腐れば彼らは捨てればそれでいい。収入は本国で得ればよい。
彼らは自分たちの習慣を企業内に押しつける。深刻な男女差別が企業内に起こる。・・・・・・・・
今の日本は幸せなのかもしれない。Rに買ってもらったNの社員はいきいきとしている。元来日本人は設定が下手だ。しかし方向さえ示してもらえれば後は本領を発揮する。

徳川三百年の長い間社会は固定され,ゼロあるいはマイナス成長が繰り返された江戸時代,その藩の財政を建て直しするのにもっとも手っ取り早かったのは,幕閣の有力者や大藩から持参金付きで養子をとる方法である。渡辺崋山が奉職した田原藩は一万二千石の小藩で,彼の時代,姫路の酒井氏から養子をとって何とか息をつないだ。崋山ははじめ,この措置に大反対をして名を挙げるが受け入れられず,その後,次の代の藩主を決める際に当主に跡継ぎがあるにも関わらず,前主の嫡男を養子に迎えることに奔走する。
この画賛はその当主康直に直訴して受け入れられ,崋山が感涙に流して描いたと伝えられる画賛である。
崋山感泣平伏 斯崋山忠建言不空 田原藩主系統長備後三郎血
崋山自賛墨竹 鄭老画竹不画 有為者必有不為 酔来描竹似蘆葉 不作鴎波無節枝
今更,血にこだわることはないだろうがどうやってアイデンティティーを保つのか。それが問題だ。この軸の前に座ると鋭い葉のタッチが何かを教えてくれそうな気がする。