平成一九年勅題「月」にちなんで

 作家で(財)日印芸術研究所言語センター長の山田真美さんに、「来年はインド・日本年ですね。勅題が『月』」ですから、インドがらみで『月』の行事は多くなるんでしょうね」と尋ねたところ「インドで月が礼賛されるようになるのはイスラムが入ってきてからなんですよ。インドは完全に太陽神の世界なんですけど」とたちまち付焼刃が暴露されてしまった。「インド=月」というのはむかし読んだ岩波新書、堀田善衛著の「インドで考えたこと」がもとで、夜空に輝く三日月の美しさに手を合わせる姿をインドにたいして今まで描いていたのだが、そんなロマンティックなイメージがいっぺんで吹っ飛んでしまった。デカン高原に輝く月光のイメージも。

 故白川静博士によれば、甲骨の「月」の字は時によっては夕と入れ替わるが三日月の象形だそうである。漢語の「月」は「欠」に通じ、「かけていくもの」の義である。一方、日本語の月は「尽きるもの」という意味から発し、まるで動きは反対だが、いずれにせよ満天の夜空で、日々、形を変える「月」のすがたは古代人にとって特異な存在だったに違いない。

 今年九月に三浦半島先端の観音崎自然博物館で月見の川柳茶会を行った。席上、副館長の石鍋さんが「佃さん、今、月は赤い色をしていますけどね、帰られる頃の月はもっと高くなって、色が白くなりますよ」と話された。瞬間私は二つのことを思い浮かべた。一つは明恵上人の道歌「あかあかや あかあかあかや あかあかあかや あかあかの月」という一首である。この歌は茶の世界で珍重され月を詠嘆した悟りの境地とされているのだが、未熟にも私はそれまで月が出てきたときの喜びの歌で、月があまり高くあがっていないときを形容したものとは解せなかった。

 今ひとつは「皎月」。この語は阿部仲麻呂が故郷を忍んで歌った「あまのはらふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも」の漢訳(実際はこちらが先なのだが)「翹首望東天 神馳奈良辺 三笠山頂上 想又皎月圓」に見られる語である。(ちなみに佃の祖が大和中宮寺の華務職に任じられた際にはこの名を拝命している。)ここで歌われる月は、和歌の短調の印象とは違って、頂上に燦々と銀色に輝く満月の姿が映りだされてくる。和歌では山すれすれの月の姿を思い浮かべたのだが、実は蒼天たかくきらめく月だったことを知らされた。

 例年の通り、勅題に合わせて、月の字をデザインした寸松庵色紙をお送りいたします。お正月のお飾りにお使いいただければ幸甚です。           合掌

                        一茶菴 佃一可

 

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